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■プロフィール

クーママ

Author:クーママ
クウー
ミニチュアシュナウザー
女の子

2006・10・29生まれ

岩手県 盛岡市 滝沢市との境目
てくてく散歩


2018・9・18 空へ

       

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10年目の あの日

あの日、蠟燭の灯りの温もりが救いだったね。

あの凍えた日々を一緒に過ごしたクウーの事が
やたらと思い出される10年目の日。

何度も何度も本震と同じくらいに間断無く揺れるから、
一晩を中学校の体育館に避難したけど、
同じ凍えるなら自宅に居ようと思った雪の朝。

一晩、水が飲めなかったクウーは、
地震直後から降り続いて、その朝も降っていて、
早朝の積もったばかりの雪をパクパクして。
冷たい朝に冷たい雪を美味しそうに食べるねぇ・・
と、私も指先の ひとすくいを食べて
うふふ・・とクウーと目を交わした朝。

クウー、ごめんね何も知らなかった。
あの雪には放射能が含まれていたか
もしれないなんて。

ひたすら、津波ばかりを心配していたんだよね。
3日目に点いたテレビで知った、津波と
福島の原発事故の映像・・




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クウーは4才で、ダウンを着っぱなしだった。

いっこうに収まらない、間断無く揺れる
合間にも、凍えるばかりの毎日にも、
クウーは、母ちゃんが居れば安心と
いつもと変わりなく居たのだけど、
散歩に出る度に、人々に笑顔の無い緊迫の
空気に、分離不安が酷くなって、何が何でも一緒。

揺れに気が付く前に、すっくと立って・来るよ・
と、教えてくれたクウー。

お腹に孫がいたママは、実家にいる時に
あの地震で
こっちよりは揺れがましだからと、結局
生まれて病院に行って会うまでの半年の間は
息子とクウーと過ごしたのだけど、
息子は片道2時間を自転車を漕いで
嫁の実家にも通って。

ガソリンが何とか買えるようになって、
初孫に会いに行った7月の病院も大きく
揺れて
初ての孫を見ながら
よく2人とも無事に・・と
感謝したっけ。

ツイッターで情報を
得ながら、その情報にもテレビ画面にも
涙が止まらない毎日だった。

☆ 写真と図解でたどる東日本大震災

☆ クウーと参加したデモ

なにか出来る事を・・と誰もが思ったよね。
せめて意思表示をしたいとデモ行進に参加して
いっぱい撫でて貰って喜ぶクウーに苦笑して。

出来る事を考え続けながら歩いた夏。


「ててごと」を始めて、体力の無い私はデモに
参加出来なくなったけど、
大勢の人達に力を頂いて、仮設住宅の人達に
手仕事する時間を届けられた。
参加して下さった皆様方には、今も感謝しています。
ただ、痛む指で文字を書くのが一番きつくて
年賀状さえ失礼して、申し訳無い思いでいます・・

このデモは、今も続いています。

☆ 盛岡反原発デモ

あの時の映像の、流される人は画像処理されて
画面で見えないのだけど、目の前で見ていた
人達は、ありのままを見ていたのだ。

☆ 銀座の広告


忘れることなど、どうしてできようか。
大人も子どもも
心の中では
歯を食いしばって生きてきたのだ。

無事だった私達は、何を学んだろう。


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残り少ない雪を掘って灯したローソクは
だいぶ短くなったけど、復興の文字が
なんだか軽く扱われているようで悲しいけど。
三陸鉄道が全線開通したのが、つい最近で。
10年目のつい最近に巨大に揺れたのが、
あの時の余震で。
先日のニュースで、宮城県の人の遺骨が
見つかったと・・

あまりにも広大で甚大な被害に、3県だけが毎年
大きく取り上げられるけど、
同じ被害の他の地域が知られていない。

まだ終わっていない あの日に
今年10才になる孫が、始めて 僕も・・と。

お空のクウーも見ているよね。
 うん・・そうだね。
あ、あの灯りだ って、見てるよね。
 うん・・うん・・見てるよね。

共に 灯りを見つめて、過去と未来に
祈った夜。



地震 | 22:20:20 | Trackback(0) | Comments(16)
9回目の灯り   3月11日(水)



3・11の あの日から 満9年。

一昨年まで、雪の小さなかまくらを作って灯した
あの日の赤いローソクを、
雪が降らなくなって、今日も風が強いので室内で灯しました。


コロナウイルスに伴う世情のあれやこれや、伝えるべき事を
伝えないマスコミや、あの日が近づくにつれて不安定になる
自分の気持ちや・・

いろいろリセットして、今日を迎えたくて

美しいお山を眺めて、牧草地で深呼吸して来ました。
今夜は、ただ [あの日]に 祈りました。


小さな揺れは頻繁で、大きな揺れも日に何度もまだ有る
あの年の夏に産まれた孫も、今年9才。

今日、公園でボールを蹴って遊びたい孫との行き帰りに、
あの日の地震と津波と福一の事を、少し話しました。
ニュースなどの映像を見てはいても、自分や家族や
沿岸に住む身内や人々と、結びついてはいなかった事が、
身近に感じられたようです。

家に帰ってから、コマゴマした玩具や学校の用具などを
段ボールの箱や引き出しに入れて、かたずけた孫。

少しずつ、災害や避難や被災した人々に
心を向けて、考えるようになってくれたらいいなと思います。


津波で行方不明の方の、お骨の一部や遺品が見つかって
ご遺族の元に帰れたと、今も地元ニュースに流れます。
良かったね、ほんとに良かったねと涙が滲みます。
私の知人の5人の方も、家族の元に帰れますように・・

ててごとひろば の 最後の記事から5年が過ぎて、
お空に行った方もおられるでしょう・・
今を過ごしていらっしゃる方達に、笑顔がありますように。


この赤いローソクも、高さが半分になりました。
一緒に見つめた息子はパパになり、クウーはお空に行って、
私はローソクと生き比べかな。


今年は、川辺のネコヤナギがスベスベの芽を付けていたので
一緒に写ってもらいました。
ローソクだけでは淋しいと思うのも、年月が経ったということ
なんだろう・・

私の毎日の中にも、この日 がある。
哀しみの質は変わっていくけれども、深さは何年経とうと
変わらないから、辛さを抱え続ける人達に
どうか心に安らぎをと、祈りました。




地震 | 00:34:27 | Trackback(0) | Comments(2)
三陸鉄道

大槌町の森の図書館と風の電話を訪ねた
2014年・5月。

ててごとひろば の皆さんに、仮設住宅へミシンなどを
届けに行ったのでした。


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小高い丘から海を見て
ここが残って、ほんとうに良かった・・と思った丘の上の図書館。


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JR山田線の波板駅

北リアス線と南リアス線の三陸鉄道の間のJR山田線。
震災後、JRが山田線の線路を復旧して三鉄に移管して
三鉄は一本の鉄道になるべく復旧に励んできた。


2019年3月23日に、北の久慈駅から南の盛駅までの全線開通
となった三陸鉄道。
岩手県沿岸を、4時間30分で走ります。

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電車から降りた人達が口々に運転士さんに
ありがとうございました と声を掛け、
運転士さんがひとりひとりに丁寧に
どうもありがとうございましたと感謝して。


三鉄も地域も頑張っています。
どうぞ、乗りに来てくなんせぇ〜!



全線開通記念の地元テレビ局番組を録画してて
見たのが 昨夜だったもんだから今頃で~~す~~^^:


思えば、私が小学生だった昔に沿岸に鉄道が通ると決まって、
小旗を手に手に行列のお祝いして、
あの頃、訳も分からずに見ていたけれど・・


それから紆余曲折の鉄道・・
やっと、やっと、三陸沿岸全線開通。

なんと長い年月を経たのだろう・・



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近所の梅が咲き始めました。

南三陸沿岸はもう桜が咲いています。

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ムスカリ一輪、見つけた^^


あの年の満開の桜は、灰色に近い色に見えた。
徐々に薄れて、去年は淡い薄墨色の薄いベール越しの色・・
くちでは綺麗といいながら、まだ本当の桜色を見ていない。

今年は、胸のクウーと一緒に見るのだから
心から綺麗だと思える
本当の 桜色 に 逢いたい・・


2014年・5月の大槌町を訪ねて
森の図書館を訪ねた記録です。
お時間ありましたら覗いてくださいね。



地震 | 02:59:12 | Trackback(0) | Comments(0)
あの日の8年目
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2012年8月の野田村

2011年に、まだ瓦礫に埋もれた この場所 に 来た時の
胸を襲った衝撃が今も薄れずに有る。

電気がついて3日めに見た、へたり込んで立てなかった あの
沿岸を襲う津波と
福一の あの映像が
あれでも希薄なのだと思い知った瞬間だった。



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原発要らない のデモに参加した夏。

クウーも一緒に歩いて、何度目かには 頭かずに入れて貰ったような^^:



2013年 山田町の応援祭り

山田町のお祭りの助かった山車1基を中心に、各地から
テント持ち寄りで出店の若者達の活動に、せめて行って応援と家族で。


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クウーを連れて歩くのもためらったのだけれど、地震後の
散歩で会う人達の、いつもと違う緊迫感で分離不安症になった
クウーはまだ車の中にも置いとけなくて。

受け入れられないようなら、クウーと私は別行動で・・と
思っていたけれど、


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わんちゃんだ と行く先々で囲まれて撫でてもらったね。

失った家族ワンを思いながらの手も、いつかまた一緒にの手も、
泣きたい気持を堪えながらの手も、いろいろな手が有ったろうのに、
みんな そっと撫でてくれた。

わんちゃん あったかい
それ以上をくちにしない子達・・


松本君の呼びかけに、署名活動もササヤカにして
避難所にはワンニャンも連れて行けるようになったけど、
その先の、仮設住宅も復興住宅もペットお断りの ままなのだ。


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すべてが人の暮らしだった瓦礫の山が続く。


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家々だった跡を見つめて

内陸に居てさえ、あの酷かった日々・・
私など、計り知れない この場の人達の日々とこれから・・
ほとんど無言で過ごした あの時のお祭りの日。
8年目の今、淋しい笑顔はほんとの笑顔になっただろうか。


出来る事を探して考え続けて、支援物資をわけてもらって
始まった ててごとひろば。

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全国からの支援の衣類に付いていた、何枚かのクリーニングのタブ。

無駄にはしまい と胸に刻んでハサミを入れた。



2011年5月の暮れゆく時刻の、野田の町の友人の店の
捻れてめくれ上がったシャッター、その遙か上の津波の跡の汚れ色。

ポツンとボンヤリ色の灯りの輪に、見上げた裸電球の街灯。
その瞬間、私は水の中にいて
苦しくはなく、ただ暗くて 泳げないのに水の中で。

違う、津波の海はこんなじゃない。 では この海は 死の海なのか。
静寂で どこまでも冷たい水の中に漂う私。

あっという間に芯から冷え切って、あぁ・・死ぬんだと思った。

クゥン・・

電球の灯りの下に戻って、クウーが不安に張り裂けそうに見上げていた。
崩折れてクウーを抱きしめて泣いた。


あれは何だったんだろう・・
津波に流された魂が見せたのだろうか。

3・11の日が近づくと思い出したようにテレビが流す
あのサイレンがいきなり耳に飛び込んで、私はあの水の中に
引き戻されて、毎年の今時期、
氷の冷たさが身にまとわりついて離れないのだ。

笑わせてくれるクウーが居ないからか、今回は長かったよ、クウー・・
でも、きっと、忘れるなと、誰かが言い続けているんだよね。

8年分の歳が増えた今、ごくささやかな事しか出来る事が無いけれど
何かを抱えている人が、少し笑顔になってくれるかもしれない事を
出来る間は続けたいと、あの冷たさが私の手を動かしているんだね。

冷たさの気配に心身が疲れて
PCを覗くのも間遠になったり。

やっと、冷たい気配が消えた今日、
そんなふうに振り返った8年目に
やっと書けた 冷たい気配の事でした。



地震 | 22:45:38 | Trackback(0) | Comments(12)
あの日   2019年3月11日(月)



8度目の あの日  静かに過ごして 祈る




ずっと、外の雪の中で灯してきた
この日のローソクも、随分と短くなった。

8度目の今日は、雪が無く 爆弾低気圧の風の日で
部屋で灯して見つめる。



去年の今頃は、文書改竄で揺れていた。
今、更に酷い。

あのあと、誰しもが
この国は もっと優しくなると 思ったのではなかったか。

この日だけの あの日 じゃない
暮らしも原発も 続いている




地震 | 01:05:23 | Trackback(0) | Comments(0)
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